580円で「自己効力感」を買っていないか
580円のコーヒーを買えば、仕事ができる空間と集中力が手に入る。
綺麗な便箋に文字を綴れば、相手に最高の想いが伝わる。
私たちは日々、誰かが作ったこの「当たり前」という形式に無意識に金を払っている。だが、その形式を疑ったことはあるか?
先日、俺は作業をするためにスターバックスに陣取っていた。「家とは違うサードプレイスで仕事の効率を上げるため」という、いかにも正当な理由を掲げて。
しかしそこで身内と偶然鉢合わせし、ふとした気まずさを感じた瞬間、自分自身の行動に対する強烈な違和感に襲われた。俺は今、コンサルの契約を一本でも取ったか? ブログを完成させたか? 答えは否だ。
俺は580円を払って「カフェでMacを開いて仕事をしている自分」という自己効力感(形式)を買っていただけだったのだ。本当にやるべき仕事があるなら、家だろうが車の中だろうが出来る。わざわざ場所代を払い、自己満足に浸りながら現在地から目を逸らす。これほど愚かな浪費はない。
「形式」という名の資本主義の罠
同じことは、愛する家族に手紙を書こうとした時にも起きた。
妻と、新しく迎える子供のために手紙を残そうと、俺は「最高の想いを伝えるための、綺麗な便箋」を探し回っていた。
だが、ハッと気づいた。想いを文字という媒体で残すという「本質」に対して、なぜ『形式の整った紙』という金銭を伴うフィルターを通さなければならないのか?
便箋という形式を作った奴がいる。そいつも、それを「想いを伝えるベストな形だ」と定義した奴らも、すべては消費を促すための装置に過ぎない。私たちはそれに踊らされ、金を使わされているだけだ。その辺にあるノートの切れ端に書き殴った言葉であろうと、そこに込められた魂の重量は1ミリも変わらない。
「お金を貯めるために今できる最大の行動は、お金を使わないこと」
この単純な真理から目を逸らすための言い訳が、世の中には「形式」という名で溢れかえっている。
投資の唯一の基準:それは目標達成を早めるか
お金を使う価値とは何か。
それは**「自分の先の思考や、目標達成までのペースを早めてくれるか否か」**だ。
形や形式に囚われていないか。ただの自己満足ではないか。
この問いにYESと答えられない出費は、すべて「ノイズ」として切り捨てる。
一方で、俺は自分自身の「本質」には一切の妥協をしない。
• 己のエンジン(肉体)を極限まで高めるための過酷なトレーニングと、その燃料。
• 未来の資産を構築し、他者の人生をコンサルするための血肉となる知識。
• そして、家族の命と明日を守るための、絶対に揺るがない生活インフラ。
これらは「投資」だ。俺を、そして家族を最速で理想の未来へ連れて行くための『弾丸』だ。俺はここにだけ、一切の迷いなくすべてのリソースを一点突破させる。
削ぎ落とした先に残る「コア」への一点集中
自分の行動や生活をコンサルできない人間に、他人の人生を導く資格などない。
俺は、自分自身の生活と行動に最も冷徹なメスを入れるコンサルタントでありたい。
「LIFT & RIDE」が掲げる『削ぎ落としの美学』とは、単なるミニマリズムではない。自分の中にある言い訳や自己満足を殺し、本当に必要な本質(コア)だけを抽出して生きるという覚悟だ。
結論:自分の本質(コア)のためだけに、すべてを注ぎ込め
今、あなたが何気なく払おうとしているそのお金は、あなたの目標を早める投資か?
それとも、世間が用意した「形式」への参加費か?
ノイズを消せ。言い訳を捨てろ。
そして、自分の本質(コア)のためだけに、すべてを注ぎ込め。
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